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岡谷この1年 2007(H19)

2015年12月25日

【一月】
▽十日=昨年の七月豪雨災害で大きな被害を出した上の原小学校上山林の災害復旧工事が起工。
▽十一日=岡谷景観を考える会が発足。
▽十八日=小井川の国道20号線で長地の七十四歳の女性がトラックにはねられて死亡。
▽十九日=長地横川の唐櫃石(かろうといし)遺跡内でヒカリゴケが発見され、岡谷ロータリークラブが保存に着手。
▽二十四日=「うなぎのまち岡谷」の会がウナギ供養祭。
▽三十日=小中学校通学区に関する検討会議が開かれ、「通学区見直しは必要」との提言書を市教委に提出。
【二月】
▽三日=堀ノ内の西堀新道で、バイクの男子性がブロック塀に衝突して死亡。
▽五日=市立岡谷病院で入院患者、職員の三十七人がノロウイルスによる感染性胃腸炎に集団感染。
▽十日=富士フイルムプロダクツ岡谷工場の九月末閉鎖が明らかに。
▽十四日=七月豪雨災害で七人の死者を出した湊花岡地区で災害復旧工事の安全祈願祭。
▽二十日=国道交通省長野国道事務所が、国道20号線改良工事の最後の未整備区間となっていた岡谷塩嶺病院近くの八百m区間のルート案を市議会経済委員会で示す。
▽二十七日=新病院建設について、候補地の文化センター跡地に活断層があることから調査のため建設場所を延期すると市が発表。
【三月】
▽三日=岡谷工業高校定時制の閉校記念式典が行われ、六十四年の歴史に幕。
▽八日=湊の小坂観音境内に由布姫の顔出し看板を市が設置。境内は訪れる観光客が増えた。
▽九日=市都市計画審議会が開かれ、湖北火葬場の現地建て替えを認める答申。
▽十五日=市役所本庁の市職員ら三十三人がノロウイルスに集団感染。
▽十八日=照光寺の平成の大改修が終わり、本坊落慶法要で完成を祝う。
▽二十一日=岡谷南高校で、未履修問題で二週間遅れの卒業式。
▽二十八日=上の原小学校建物等災害復旧工事がしゅん工。「不二家」問題で岡谷南宮店が閉店。
【四月】
▽二日=病児、病後児の子どもを一時預かりして保護者の子育てと仕事の両立を支援する「病児、病後児保育」を市が開始。
▽八日=県議会議員選挙の投開票が行われ、共産党現職の毛利栄子氏と民主党新人の野沢徹司氏が当選。
▽十七日=岡谷東部中で生徒用昇降口に灯油がまかれる事件があった。
▽二十一日=「風林火山」をテーマとした山梨学院大学のともまなび講座が始まる。
▽二十二日=二十二人が十八の議席を争った岡谷市議会議員選挙の投開票が行われ、顔ぶれが決まる。投票率は過去最低の六七・五七%。
▽二十七日=鶴峯公園のつつじ祭りを前に、ツツジの花の付きが悪いことから、地元三沢区が市長に善処を申し入れ。市長は再生に取り組むことを明らかに。
【五月】
▽一日=岡谷市教委は定例会で通学区の見直しをしないことを決定。
▽十二日=平成二十二年度の諏訪大社御柱祭に向け、下社御柱用材の仮見立てが下諏訪町の東俣国有林で行われ、秋宮、春宮の御柱用材八本が決まる。
▽十七日=フィンランドの精密機器関連企業三社の五人が岡谷市を訪れ、企業訪問やビジネス交流セミナーで市内企業と交流。長期的な連携へ民間レベルの本格交流が始まる。
▽十八日=新病院建設が検討されている文化センター跡地内に活断層があるかを調べる活断層調査が専門家により行われ、「断層は見られない」との所見。
▽二十一日=鶴峰公園のツツジ再生へプロジェクトチームが発足。地元と関係機関が協働して原因を究明、再生に乗り出すことに。
▽二十三日=平成十五、十六年度の市下水道負担金の一部が当時の担当職員の不適切な事務処理により徴収できなかったことが明らかに。
▽三十日=林新一郎前市長が緊急記者会見で九月の市長選に四選出馬せず引退すると表明。
【六月】
▽三日=天竜川のアレチウリ駆除と美化活動へ、三沢区と河川を管理する県がアダプトプログラムの契約を締結し、初の清掃活動。
▽十一日=郷田の農業生物資源研究所が平成二十三年つくば市に移転統合されることが明らかに。
▽十四日=県立高校の再編問題について県教委が、平成二十一年五月をめどに新たな再編計画を策定する方針を決め発表。岡谷南、岡谷東の統合などを凍結としていた統合計画は撤回し、改めて協議することに。
▽十七日=初の岡谷市綱引き大会が三十チームが参加して開かれ、初代王座をかけ白熱戦。
▽二十五日=公共施設の在り方を検討し、市に提言する「岡谷市公共施設のあり方検討市民会議」が発足。
【七月】
▽四日=岡谷市が、市立岡谷病院と塩嶺病院を統合した新病院の建設を文化センター跡地に行うと市議会全員協議会で発表。
▽十四日=岡谷市観光協会が設立三十周年記念式典。
▽十五日=台風4号の通過で中央町一の民家の石積が崩れ、三世帯六人が自主避難。
▽十九日=平成十八年七月豪雨災害一周年追悼式が湊の廃川敷で開かれ、立木で組んだ二基のやぐらで鎮魂の炎を燃やし、犠牲者八人のめい福を祈る。
▽二十八日=きつね祭りとサンバ・で・ナイトの夏祭りが二年ぶり開催。初の音楽イベント「うなるソロ10国」も。
▽二十九日=参院通常選挙の投開票が行われ、県区では民主党現職の羽田雄一郎氏と自民党現職の吉田博美氏が当選。
【八月】
▽一日=岡谷市初のエコファーマー六人が誕生。環境に優しい農法でトマト栽培に取り組む湊の六人に県知事の認定書が交付。
▽七日=つつじヶ丘学園と地元三沢区が災害時応急活動で協力協定を締結。
▽十三日=岡谷太鼓まつりが開幕、二年ぶりに勇壮な響きをとどろかせた。祭りの二日間で十四万人が来場。復興記念の五百人そろい打ちやMINAKOIわっさかの踊りパレードが大勢の市民を酔わせた。
▽十六日=岡谷の送り盆の風物詩、一千灯とうろう流しと花火大会が釜口水門周辺の諏訪湖で開かれ、幻想的な明かりと夜空を染める花火の?共演?が大勢の見物人を魅了。
▽二十六日=綱引きの進友会が全日本選抜綱引き大会で二年連続三回目の優勝。
【九月】
▽一日=岡谷駅南土地区画整理事業の完成式典が開かれ、十五年と七十二億六千四百万円をかけて進めてきた大事業の完成を祝う。
▽四日=岡谷市消防団が昨年七月豪雨災害の活動を評価され、内閣総理大臣表彰を受賞。
▽五日=平成十八年五月に死去した岡谷市出身の童画家・武井武雄の長女三春さんが所有していた武井武雄作品と愛用品が市に寄贈。
▽十三日=広域ごみ処理施設建設問題で、岡谷、諏訪、下諏訪の三市町は、「ごみの排出量に応じた実績割九割、均等割一割」の建設負担割合の妥協案で合意。
 大阪世界陸上選手権四百mリレー決勝でアジア新記録樹立と五位入賞に貢献した湖畔出身の塚原直貴選手が市役所で結果報告。
▽二十日=岡谷市が造成した湯殿山工業団地が製造業の市内三社に分譲され、土地売買契約締結式。
▽二十三日=任期満了に伴う岡谷市長選挙の投開票が行われ、無所属新人の元市議会議長、今井竜五氏が大差で初当選した。
▽二十八日=岡谷市の第七代市長、林新一郎氏の退任式が開かれ、市庁舎を後に。
 岡谷市は文化庁の世界文化遺産候補公募に、「日本製糸業近代化遺産」として名乗りを挙げ、県と共同で提案書を提出。
 昨年七月豪雨災害の災害関連緊急砂防事業で川岸の待張川と唐沢の二基が、岡谷、諏訪市内のトップを切って完成。
【十月】
▽一日=岡谷市長選で初当選した第八代市長、今井竜五氏が初登庁。産業振興を軸に地域の活性化を目指す今井市政が船出した。
▽十日=鉛弾による土壌汚染問題を受け、平成十六年五月から事実上閉鎖状態となっていた川岸三沢の諏訪射撃場で施設の取り壊し作業が始まる。
▽十三日=湯殿山工業団地で進出第一号の今井商工新工場新築工事が着工。
▽十六日=来年度予算編成会議が開かれ、従来の積み上げ方式の予算編成方針を見直し、あらかじめ各部課ごとに見込額を割り振る枠配分方式を導入することを示した。
▽十八日=照光寺で六十年に一度しか見られない秘仏「千手観音菩薩」の特別ご開帳が一週間の日程で行われた。
▽二十二日=諏訪建設事務所と岡谷市が土砂災害防止法に基づく土石流の基本調査結果を市議会と市長会に報告。市内では七十六カ所が特別警戒区域に指定されることに。
【十一月】
▽一日=岡谷商工会議所会頭に宮坂勝彦氏が再任されるなど、会議所役員が決まる。
▽三日=花岡区の森林づくり事業が小田井上流で行われ、災害に強い森林づくりへ、千百本の苗木を植樹。
▽八日=市の行政チャンネル「シルキーチャンネル」の放送がスタート。
▽十五日=ハローワーク岡谷の一部が来年度から諏訪に統合されることが市議会全員協議会に報告。市と商工会議所は再考を求めて長野労働局に陳情。
▽十七日=岡谷東部中学校の五十周年記念式典が開かれ、半世紀の節目を祝う。
▽十九日=土砂災害防止法による土石流の警戒区域・特別警戒区域指定に向けた住民説明会が開始。
▽二十一日=市の「学んで提案講座」で受講生が生活密着型の新事業を市に提案。
▽三十日=経済産業省が岡谷市の製糸関連建造物、資料十五件を「近代化産業遺産群」に認定。
【十二月】
▽二日=岡谷西部中学校の五十周年記念式典と音楽祭が開かれ、「西中讃歌が四十年ぶりに復活。
▽六日=岡谷市が市内四中学校代表による一般質問形式の本格的な初の「子ども議会」を開催。中心市街地活性化、駅前再開発などの問題に今井市長が答えた。
▽十日=市民総参加のまちづくりサロンの最終回が開かれ、提言書を市長に提出。
▽十六日=間下区でアマチュア無線を使った初の情報伝達訓練が開かれ、市内でも初のアマ無線による災害時の体制づくりに着手。
▽十九日=岡谷市公共施設のあり方検討市民
会議が十九日開かれ、やまびこ国際スケートセンターなど五施設の休止・廃止、カルチャーセンターなど八施設の運営見直しを、岡谷市に提言。
▽二十一日=岡谷市が死亡事故ゼロ記録三百日を達成し、県からの表彰状を授与された。