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岡谷この1年 2006(H18)

2015年12月25日

【一月】
▽六日=岡谷市民新聞社主催の第四十一回新年祝賀会が開かれ、約二百人が出席して決意を新たに。
▽十二日=うなぎのまち岡谷の会が公募した「うなぎ弁当」掛け紙デザインの作品審査が行われ、特賞一点、入賞三点を選考。
▽十三日=全面結氷の諏訪湖で二年ぶりに出現した御神渡り拝観式が行われ、三本の筋を認定。
▽十五日=昨年十二月三日から行方不明になっていた諏訪市高島小五年の堀内龍櫻君が、釜口水門近くの湖岸で遺体で発見された。
▽二十一日=小中学校通学区に関する検討会議が開かれ、市教委は十九年度から段階的に、田中線下の一部児童通学区を長地小、小井川小から田中小へ移行する方針を示した。
▽二十四日=市立岡谷病院の耐震改修工事が完成し市が引き取る。

【二月】
▽七日=現行無料の三歳以下児の第三子以降保育料について、市長が有料化の方針を明らかに。
▽十日=通学区見直しで市教委が地元PTAらと懇談、異論が多く「時期尚早」との指摘もあった。
▽十三日=岡谷市議会臨時会が開かれ、一般会計補正予算案審議の中で、市組織改革に伴う庁舎内配置換えの改修工事費をめぐって紛糾した。
▽二十二日=子を持つ母の会が第三子以降保育料無料化継続を訴える約一万七百人の署名を林市長に手渡し、上野市議会議長には見直しについて陳情書を提出。
▽二十六日=長地中屋の十四瀬川でいっ水、住宅が床下浸水。
【三月】
 岡谷市発足時に特別に作られたカラフルな観光パンフ「岡谷市」の幻の巨大原画が京都にあることが分かった。
▽八日=「南中生を支える地域の会」が通学区内の区、育成会、PTA、生徒会、学校関係者らにより発足。
▽十二日=岡谷北部中の南校舎の改築工事が完了し引き渡し。
▽十五日=塩嶺工業団地の第二期造成工事が完了。
▽十九日=全日本綱引選手権大会で進友会が全勝で二連覇。
▽二十一日=諏訪湖畔病院の新病棟がしゅん工。
▽二十五日=春高バレーの準決勝戦で、岡谷工業は、前回優勝の埼玉の深谷に敗れ、ベスト4に。
▽三十日=岡谷東と岡谷南高校の統合案が、県庁で開かれた臨時会で示された。
【四月】
▽一日=和楽荘が民営化。
▽三日=市の組織改正に伴う四部二十課の新体制の業務が始まった。
▽七日=長地権現町二で深夜民家を全焼する住宅火災。
▽八日=市制施行七十周年記念式典が開かれ、功労者らをたたた。
▽二十日=駅南土地区画整理事業地の住居表示変更について、審議会が諮問通り認めると答申。
▽二十二日=長地中屋のスクモ塚古墳で、古墳保存記念碑が除幕され、歴史的市民運動を後世に伝えるしるべの建立を喜び合った。
▽二十四日=岡谷市教育委員会が「おかや子育て大綱」を設置する方針を固め、市社会委員会の席で示す。
【五月】
▽一日=中心市街地活性化へ「岡谷TMOまちなか活性化推進本部」が設置。岡谷市が「わくわくするまちづくり推進事業補助金」制度を設置、施行した。
▽十一日=鳥居平やまびこ公園の駐車場で放置車両が不審火とみられる火災で全焼。
▽二十一日=本町四丁目で車両と民家を焼く不審火が連続して発生。
▽二十三日=神明町四の市道上で放置車両を焼く市内五件目の不審火が発生。
▽二十六日=相次ぐ不審火を受け、各区防犯指導員らによる「ブルーパトロール隊」が警戒活動を始めた。
▽二十八日=第八回塩嶺王城パークライン10マイルマラソン大会が鳥居平やまびこ公園を発着点に行われ、四百九人が健脚を競った。
【六月】
▽一日=一般家庭の生ごみリサイクル事業が中屋区を皮切りに始まった。
▽四日=長地御所の工場で未明に防風シートを焼く不審火があり、放火未遂容疑で下諏訪町高木の男を逮捕。
▽六日=県教育委員会と岡谷南、岡谷東両校は統合に関する説明会を開き、「一学年六学級規模で募集を」など、新高校像を提案。
▽九日=岡谷市は補助金・負担金見直しで市民対象の説明会を開き、ゼロからの見直しで必要額を積み上げる新たな方式を示した。
▽十三日=岡谷TMOまちなか活性化推進委員会が発足、事業が本格始動。
▽二十一日=うなぎのまち岡谷の会が扱う「うなぎ弁当」の新しい掛け紙四種類が公募デザインの活用で出来上がる。
▽二十六日=NPO岡谷市身体障害者協会の総会が開かれ、会の解散を承認した。
【七月】
▽一日=不審者侵入などの緊急時に保育園など21児童施設から警察に異常を通報する「警察直通緊急システム」が始動。
▽七日=本年度創設の「わくわくするまちづくり推進事業」に六団体の活動が決まる。
▽十二日=市が山梨大学と連携して取り組む「水資源有効活用研究事業」の初会合が開かれ、二カ年計画による市の水安定供給調査研究が始動。
▽十九日=豪雨により湊、川岸、上の原地区で早朝、大規模な土石流災害が発生。湊久保寺地区では死者四人、行方不明者三人、川岸橋原で死者一人、家屋多数が倒壊、浸水した。四百三十四人が避難所に避難。
▽二十日=湊の捜索で三遺体を発見。湊五と川岸三沢一部に避難勧告。
▽二十一日=花岡地区の五百三十人に新たに避難勧告が指示。
▽二十六日=行方不明者の捜索に合わせ復旧作業始まる。
▽二十八日=仮えん堤の設置工事が湊久保寺地区で始まる。
▽二十九日=捜索・人命救助活動が終了。
▽三十一日=県道岡谷茅野線の交通規制が解除。
【八月】
▽一日=豪雨災害により市内に出された避難勧告が十三日ぶりに全面解除。
▽七日=湊小の避難所を閉鎖。災害発生から二十日目ですべての避難所が閉鎖された。
▽九日=市制施行七十周年記念の「岡谷市鳥瞰図と市勢の歩み展」が始まり、鑑賞者でにぎわった。
▽十日=市災害対策本部を解散、豪雨災害復興対策室を新設した。全国高校総体で、岡谷工業高校バレー部が六年ぶり二度目の優勝。
▽十一日=七月豪雨災害の被害が約十八億三千万円と市議会全協で報告。
▽十二日=市は、新設した避難態勢の基準に基づき、対象の十一河川流域住民七百十六世帯二千人に、初の「避難準備」情報を発動。
▽十三日=夜間局地的な豪雨で、市街地を中心に大川、塚間川、十四瀬川などでいっ水。中央通りなど一部で床上浸水した。
▽十六日=「一千灯とうろう流し」と「追悼煙火」が釜口水門周辺の諏訪湖で行われ、被災地の復興と犠牲者のめい福も祈った。
▽三十一日=市災害ボランティアセンターが閉鎖。
【九月】
▽三日=岡谷市の交通死亡事故記録が一年を達成。県下十九市の中で死亡事故ゼロ記録のトップを更新した。
▽六日=県教委は、臨時会で岡谷東と岡谷南の統合を一年先送りすることを決めた。
▽八日=市が初の試みで、せん定樹木を破砕したチップを清掃工場で無料配布開始。
▽十四日=全国各地で相次ぐ飲酒運転による事故を受け、岡谷署も各所で検問を行うなど取り締まりを強化。
▽二十日=長野保健センターヘルシーパル岡谷が閉鎖。
▽二十六日=県教委は臨時会で岡谷東・岡谷南など五件の統合の計画凍結を決めた。
▽中旬=NHK大河ドラマ「風林火山」を観光振興の起爆剤へと、市が観光バスの駐車場を小坂観音院近くに設置した。
▽二十九日=岡谷市安全大会が開かれ、安全のまちづくりを誓い、七月豪雨災害の総括で防災への認識を新たにした。
【十月】
▽七日=七月豪雨災害で疲弊した中心市街地活性化をねらった「2006がんばろうおかやフェスタ」が中央通り一帯を歩行者天国にして開かれ、子どもたちの踊りや太鼓、フリーマーケットなど多彩なイベント。
▽八日=岡谷太鼓保存会の七月豪雨災害復興応援演奏会が開かれ、復興をを願う太鼓演奏を披露。
▽十八日=中小企業都市サミットがカノラホールを主会場に開かれた。
▽二十五日=田中小児童対象の子どもの居場所「あやめ基地」がオープン。放課後、安心して安全に遊ぶことが出来る空間として大きな期待。
▽二十七日=卒業に必要な必修科目の履修もれ問題で、岡谷南、諏訪清陵、諏訪二葉、東海大三など諏訪地方四校でも必修科目の履修不足があったことが県教委の調査で判明。
【十一月】
▽五日=全国高校ラグビー県大会で岡谷工業高校が八連破し、花園への出場を決めた。
▽六日=岡谷駅南土地区画整理事業地内の六十戸で住居表示を変更。市が予算編成方針会議で豪雨対策の復興対策優先方針を示す。
▽十三日=岡谷市の北陸コカ・コーラボトリングが災害時における救援物資提供に関する協定を締結。長地中村で深夜火災があり、住宅、事務所など四棟が全焼。
▽十四日=川岸でイノシシ二頭が民家の庭に出没。
▽十八日=神明小学校で四十周年記念式典。
▽二十日=市立岡谷病院で待遇・サービス向上、改善に向けた取り組みを開始。あいさつ運動で初日は塚田院長が正面玄関に立った。
▽二十一日=七月豪雨災害で被災した上の原小学校体育館や教室棟の本格復旧に着手。
▽三十日=イルフプラザ内で営業していたわいわい市場が自己破産し、市の債権残高千四百四十六万円の回収が難しい状況であることが市議会全員協議会に報告された。
【十二月】
▽一日=七月豪雨災害関連の緊急砂防えん堤工事の起工式が川岸三沢の待張川で、市内十二渓流のトップを切って行われた。
▽六日=岡谷絹ブランド推進協議会は、あし諸紬を開発し、男性用ジャケットと女性用のネックウエアなどを東京ビッグサイトで開いた国内展示会に出品した。
▽十二日=災害に強い森林を地域ぐるみでと、湊地区で初の学習会が開かれた。
▽十二日=岡谷東部中に、「東中を支える地域の会」が発足、生徒の下校を見守る活動を始めた。
▽十七日=進友会がアジア綱引選手権大田原大会で、「アジア一」の栄冠に輝いた。
▽二十日=七月豪雨災害にかかわる総体経費をまとめ、市が市議会全員協議会に「本年度十六億三千三百万円」と報告。
▽二十九日=深夜、湊の県道で車同士の正面衝突事故があり、軽トラックを運転していた市内の男性が死亡。市内の死亡事故ゼロ記録は四百八十一日でストップした。