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岡谷この1年 2004(H16)
2015年12月25日【1月】
▽一日・新春恒例の元旦歩こう会とマラソンが行われ、新年の決意を新たに、大勢の市民が今年の健康づくりをスタートさせた。
▽五日・市の平成十六年度新年祝賀会がカノラホールで開かれ、各界で活躍する市内の約八百人が、間近に迫る合併と御柱に向け、気を引き締めていた。
市役所の仕事始め式が行われ、林市長が一年間の奮闘努力を期待する年頭の訓示を行った。
▽六日・市内小中学校のトップを切って西部中学校の三学期始業式が行われ、本年度の総まとめの学期をスタートさせた。
▽七日・市男女共同参画推進に関する条例策定懇話会が同条例案をまとめ、林市長に提言書として提出した。庁内検討で調整した後、三月市議会に提案し議決を経て制定していく。
▽九日・市特別職報酬等審議会が市理事者の給料や市議会議員の報酬額を減額改定するよう林市長に答申した。三月議会に改定案を提案する。
市商連の年末セールの当選番号が決まる。今年の特賞は、温泉への二泊三日ペア二十組招待。計画枚数の達成し、二等と三等をそれぞれ一割ずつ当選番号を増やした。
▽十一日・市の平成十六年成人式がカノラホールで行われ、あでやかな振りそで姿やスーツ、羽織はかま姿で出席した四百二十人の若者の新たな門出を祝福した。
市消防団の出初め式がカノラホールで行われ、全分団、消防職員、自主防災組織、自衛消防隊など三百人が参加、分列行進などでこの一年の無火災を祈願した。
岡谷交通安全協会の出初め式が市役所で開かれ、会員、交通少年団員ら約百五十人が決意を新たに一年間の無事故を祈った。
▽十四日・本社主催の新年祝賀会がジョイントプラザ・マリオで開かれ、各界の代表ら約二百人が明るい一年にしようと決意を新たにしたほか、一月十三日付けで紙齢二万号を迎えた本紙へのお祝いの言葉を贈った。
▽十五日・今春の諏訪大社御柱祭に向け、市御柱祭典委員会が各柱の神様の居場所に掲げる大御幣を作成した。
▽二十二日・市の十六年度予算編成の最終段階、市長査定が始まる。合併が進めば、市としては最後の予算編成になる見通し。
▽二十四日・今年、諏訪大社の御頭郷を務める川岸、湊地区の「御社宮司神降し祭」と「境じめ神事」が両地区で行われ、大役を無事に奉仕できるようにと祈願した。
駅前商業ビル「ララオカヤ」を中心とした駅前周辺地域の活性化への検討で、国が実施している「全国都市再生モデル調査」の一つ、ララウインター・フェアが行われ、フリーマーケットや朝市、ミニコンサートなどで同ビルは久しぶりに活気が戻った。
▽二十七日・諏訪大社御柱祭に向け、市御柱祭典委員会がてこ棒二百五十本に諏訪大社の焼き印を押した。
▽二十八日・小中学校で風邪が流行。各校で繰り上げ下校などの措置が行われた。
【2月】
▽二日・岡谷病院に民間委託による託児所が開設。二十四時間運営を基本に病院職員の子供の託児のほか、外来、入院患者の子供の一時預かりもしていく。
▽十三日・本町で無理心中未遂事件。父親は死亡、娘が父親に殴られけが。
▽十四日・川岸御柱祭典委員会が三沢区コミュニティ施設で飾り綱打ち。若い世代へ伝統の技を伝えた。
▽十七日・市が十六年度の当初予算案を発表。一般会計は総額二百三十三億千五百万円で、前年度当初予算に比べ、三億千万円、一・三%の増額となったが、減額補てん債の借り換え分の市債十五億八千万円を除くと、実質的には前年度比マイナス五・五%となった。
▽二十日・旧市社会福祉センターを再整備した太鼓道場と新あやめ保育園が完成、市が引き取り検査し引き取った。
▽二十二日・●諏訪大社の松本昌親宮司が死去。七十七歳だった。
▽二十三日・諏訪大社御柱祭山出しを控え、秋四の柱の結団式がホテル岡谷で行われ、安全で迅速、楽しい御柱への盛り上げを図った。
▽二十四日・国道バイパスの三月末開通が明らかに。市が市議会経済建設委に報告した。
▽二十六日・旧市社会福祉センターを再整備した「岡谷太鼓道場」がオープンした。愛称は応募で「鼓鳴館(こめいかん)」に決まった。
【3月】
●岡谷市本町出身で元名古屋大・広島大学長の飯島宗一氏が死去。
▽二日・岡谷工業高で、全国初の三次元CAD認定試験が試行された。
▽四日・諏訪大社御柱祭に向け、三市一郡の関係者合同会議が下諏訪総合文化センターで開かれ、協定事項や日程が決まった。
▽八日・県警の幹部級第一次人事異動が内示され、岡谷署長に篠田彦雄氏が着任することになった。
▽十日・国道20号線バイパスの今井線との交差点付近に御柱が通行するだけの通路がお目見え、九月の今井十五社の御柱祭で初めて使われる。
▽十七日・「おかやバレーボールフェスタ」がララオカヤ一階で始まり、市内のバレーボールの栄光の歴史などを紹介した。
市内八小学校で一斉に卒業式が行われ、六年間も思い出いっぱいに児童たちが学びやを旅立った。
▽十八日・市内の四中学校で卒業式が行われ、義務教育を終えた生徒が万感の思いで校舎を巣立った。
▽十九日・県立高校で後期選抜試験の合格者が発表された。
▽二十日・国道20号線下諏訪・岡谷バイパスと国道142号線落合バイパスの開通を前に、開通式プレイベント「春いっぱい夢いっぱいフェア」が行われ、大勢の市民らが見学やイベントを楽しみに訪れた。
▽二十一日・諏訪大社下社御柱祭山出しで岡谷市内各地区が曳行を奉仕する五柱の木作りが下諏訪町東俣の棚木場で行われ、祭りの主役となる柱の雄姿を整えた。
▽二十五日・市が定期人事異動を内示した。合併や当面する課題に対応し九十人の小規模なものになった。
商工会議所が会員増強や組織強化に優秀な成績を収めたと日本商工会議所会頭表彰を受賞した。
▽二十七日・国道20号線と国道142号線バイパスが開通。式典で長年の悲願完成を祝った。
▽二十九日・岡谷商工会議所の臨時議員総会がホテル岡谷で開かれ、十六年度の事業計画を承認したほか、専務理事に井出皓基理事を選任した。
【4月】
▽一日・市制施行六十八周年記念式典が市役所で行われ、約二百二十人が出席して市の限りない発展を誓った。
蛍光管や電球の分別回収が小井川地区を皮切りに開始。初日はほぼルールが守られ、三十型の丸形蛍光管に換算すると約二百八十本分が集められ、順調なスタートを切った。
市の新規採用職員入所式が市役所で行われ、四十四人に林市長から辞令が交付された。
▽二日・諏訪大社上社山出しが開幕。雨の中、五万人が出て、雲間に響く木やり歌ともに曳行が始まった。
▽四日・上社山出しが三日間の日程を終了。最終日は雪が降る冷え込みの中、四本が木落し、五本が川越しを行い、祭り前半のフィナーレを飾った。三日間の人出は四十六万人に。
下社山出しに向け、長地地区の安全祈願祭と結団式が柴宮館で開かれ二百五十人が無事な曳行と祭りの成功を祈った。
▽五日・市内四中学校と八小学校で入学式が行われ、中学校に五百二人、小学校に五百五十七人が入学。新たな出会いと希望を胸に学校生活をスタートさせた。
▽六日・市内三高校で入学式。厳しい入試を突破した新入生が自ら選んだ学びの道の一歩を記した。
区長会長に新屋敷区長の青島一郎氏・・が決まる。
▽八日・下社山出しに備えて各柱の曳綱などの荷揚げが行われ、棚木場は翌日からの山出しスタートへ熱気にあふれた。
▽九日・諏訪大社下社山出しが開幕。好天の中、奥山から里へ、神となるモミの大木が動きだした。初日は春四、春三、秋二の柱が最高の見せ場の木落しを行い、人で埋め尽くされた木落し坂周辺の観光客や氏子らをうならせた。初日の人出は五万八千人。
▽十日・下社山出しの二日目は好天と週末も重なり、前回より五千人多い、二十六万人の人出。曳子、観光客が曳行路に押し寄せ、身動きがとれない曳子で曳行に影響する柱も出た。二日目は秋四と春一が豪快な木落しを済ませ、注連掛に無事曳き付けた。
▽十一日・下社山出し三日目も好天。春二、秋三、秋一が豪快な木落しを披露し、八本の柱が無事、注連掛まで曳きつけられた。三日目の人出は二十万人、合わせて五十二万三千人で前回を三万七千人上回った。
▽十六日・市教委が小坂観音院の観音堂や榎垣外遺跡出土の顔面把手付深鉢型土器など建造物、考古資料、史跡など合わせて十二件を市文化財に指定した。
▽十八日・鳥居平やまびこ公園が営業を開始。初日から大勢の家族連れが訪れ、公園の春を満喫していた。
岡谷商工会議所のお花見交流会が同会議所駐車場で開かれ、過去最高の二百九十人が満開の桜の下、景気回復を願って杯を酌み交わした。
▽二十日・塩嶺王城パークライン沿いに民間業者が風力発電事業を計画。業者から説明を受けた市が市議会経済建設委員会に概要を説明した。
▽二十五日・中屋の鎮神社御柱祭山出しが行われ、一から四の柱を各町内ごとの分担で曳行。ちょうど「そよ風まつり」を行っていた目切公園まで曳き付けた。
やまびこ公園内にある「プリンス&スカイライン・ミュウジアム」が開館。今年は八シーズン目のオープンにちなみ八代目のR32を中心に展示を構成し、その人気から大勢のファンが訪れ、フリーマーケットやトークショーなどをたんのうした。
▽二十九日・春の叙勲受賞者が発表され、市内では経済産業功労で岡谷商工会議所副会頭の小口成人氏が旭日双光章を受章した。
▽六日・大川の洪水対策で、県が市の間下倉庫地下に調節池の設置を計画していることが分かった。
▽九日・湖周三市町合併で、法定合併協議会設置と経費負担を含む一般会計補正予算が市議会臨時会で可決。
▽十八日・「生活のすべてに安全を」をスローガンとした岡谷市安全市民大会がカノラホールで開かれ、各区の代表約六百人が安全で住みよい街づくりへ向け誓いを新たにした。
▽二十日・岡谷、諏訪、下諏訪町の三市町による法定合併協議会の設立総会が下諏訪総合文化センターで開かれ、来年三月末までの合併申請を目指し本格的な協議が始まる。
岡谷の唄と踊り講習会がイルフカルチャーセンターで開かれ、岡谷ならではの盆踊りを目指し、本紙が歌詞を募集して昭和二十六年に作った「糸街音頭」と昭和初期の「岡谷小唄」の二曲を習った。
▽二十二日・市内各小宮の御柱祭の日程が決まった。里曳きは十月十日前後にピークを迎える。
▽二十六日・市が社会保険庁から運営を受託している岡谷塩嶺病院で院内のゴルフコンペのたびに、参加者を馬に見立てたかけをしていたことが分かる。十年以上遊び感覚で続いており、林市長が調査結果を踏まえ、処分を検討していくと話した。
▽三十一日・岡谷の真夏の夜を彩る夏祭りサンバでナイトと、天下の奇祭・きつね祭が童画館通りと中央通りで行われた。通りでは浅草サンバカーニバルに出場する大学生のサンバチームの激しいサンバのリズムと踊りが披露されたほか、初の小学生カップルによるきつねの嫁入りパレードがかわいらしく行われた。
【8月】
▽一日・諏訪大社下社のお舟祭りが行われ、御頭郷を務めた湊・川岸地区の住民らが立派に柴舟の曳行を奉仕し、大役を果たした。
▽三日・市議会の諏訪地域市町村合併審査特別委員会が湖周三市町が合併した場合の新市議会の定数や任期の取扱を審議、特例適用をしないことで合意した。
▽四日・コイヘルペスウイルスに感染したコイが諏訪湖の網いけすで確認されたことで県が廃棄処分命令を出したことを受け、網いけすでコイを養殖している市内三業者がコイ約一・を市清掃工場で焼却処分した。
▽▽十一日・院内のゴルフコンペでかけ行為をしていた問題で市が塩嶺病院の病院長をはじめ、職員合わせて六十人の処分を発表。
▽十二日・市内四中学校の三年生代表が広島を訪問した平和体験研修団が解団、研修を通して学んだ戦争の悲惨さや平和について発表した。
▽十三日・第三十五回市民祭太鼓まつりが開幕。初日は約六万人の観衆を集め、勇壮な太鼓の響きなどで酔わせた。MINAKOIわっさかでは「みなこい勤青」「中川天龍振興会」の二チームが大賞に輝いた。
▽十四日・太鼓まつり二日目の本祭りが行われ、熱気に包まれながら閉幕した。観衆は約四万千人、二日間で十万人を集めた。
▽十五日・市民サービスのため、おかや総合福祉センター「諏訪湖ハイツ」が初めて花火大会の見物客のために無料開放。七、八百人が利用し光と音のショーを楽しむ。
送り盆で市内の霊園や墓地が墓参りの家族らでにぎわい。先祖の霊に手を合わせめい福を祈った。
▽十六日・岡谷の送り盆の風物詩として親しまれている一千灯ろう流しと花火まつりが釜口水門付近の諏訪湖で行われ、湖面いっぱいに漂う、幻想的な灯ろうと、夜空を焦がす花火の・競演・に湖畔を埋めた大勢の見物客から歓声が響いた。
▽十九日・岡谷商工会議所の宮坂久臣会頭が同商工会館で開かれた常議員会の席上で、任期満了の今年十月末で会頭を退任する意向を表明。
▽二十日・「敬老の日」のこの日、市内九区の敬老会が開かれ、区の発展に尽くしてきたお年寄りの長寿を祝い、今後の健康と長生きを祈願した。
▽二十一日・ABNのスニーカーキャンペーンの協力して諏訪湖ハイツに回収箱を設置し市民の協力を求めてきた市身障協とボランティア協議会が整理作業。寄せられたスニーカーは約二千足。市民の協力に感謝した。
▽二十四日・岡谷商工会議所の第二十六期議員選挙のうち、公募制の一号議員の立候補届け出が締め切られ、四十社(人)の当選が決まった。
【10月】
▽一日・市議会定例会が平成十五年度の十四会計決算を承認して閉会。
▽三日・市内小宮御柱祭里曳きの先陣を切り、今井十五社の里曳きが行われた。冷たい清めに雨が降るなか、氏子らが心一つに熱気を帯びて曳行し、予定より大幅に早く曳きつけ。昼食を挟んで一、二の柱の建御柱を行った。またこの日は、市内企業のうち豊島屋の松尾神社の御柱祭里曳きも行われ、無事同社構内の神社に曳きつけた。
▽五日・来年二月から三月に長野市などで開かれる知的障害者の冬の祭典「2005年スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会」に向け、カナダ選手団の受け入れや交流事業などで大会の盛り上げや運営に協力する市民協力支援実行委員会が設立。
▽六日・諏訪市の合併に関する市民アンケートの結果が「反対」多数となったことを受け、山田諏訪市長が合併協議からの離脱を表明。諏訪地域の合併協議は事実上破談となった。
▽九、十、十一日・市内小宮の御柱祭ラッシュが開幕。十一日までの連休がピークとなったが、初日は台風の影響で大荒れの天候となり、スケジュール変更を余儀なくされる小宮も。それでも激しい雨の中、氏子総出で曳行した。翌十日、十一日は打って変わった好天となり、楽しく曳行風景、建御柱が繰り広げられた。また初日は、市内の企業のうち、TPR(帝国ピストンリング)長野工場内にある帝ピ金山神社の御柱祭里曳きも行われたほか、翌日には諏訪倉庫内の以利仁(いりに)神社の御柱祭も。
▽十二日・諏訪市の離脱表明を受け、岡谷市と下諏訪町の両首長が議会に今後の協議について意見を聞いた。林市長は「白紙に戻すべき」という議会の消極的な意見が半数以上を占めたことから、断念せざるを得ない考えを示唆した。
遠足中の岡谷小三年児童五人が休憩した花岡城跡公園でスズメバチと見られるハチに指された。いずれも軽傷で二カ所を刺された一人を除き遠足に復帰した。
▽十四日・岡谷市医師会附属准看護学院で第四十九期生三十二人の戴帽式が行われ、看護の道をさらに深めることを誓う。
「日本一短い祭り」とされる秋季塩嶺御野立記念祭が塩嶺御野立所で行われた。
▽十五日・岡谷商工会議所と福井県の鯖江商工会議所初の交流会がテクノプラザおかやで開かれ、お互いの発展のために意見交換をした。
▽十六日・JR岡谷駅前の再開発ビル「ララオカ」がリニューアルオープン。市が再整備を前提に買い取り、当面の活性化策として一階内部の改造を進めてきた。チャレンジショップ、レンタルボックス、農産物直売コーナー、イベントコーナーを設置したほか、図書、パソコンを配備した市民広場がお目見えした。オープンフェアには大勢の市民が訪れた。
出早公園のもみじ祭りが開幕。十一月三日までの期間中は、湯茶の接待やライトアップ、菊花展示などがあり、観楓客でにぎわいを見せた。
山手町で殺人事件。七十九歳の老女が自宅玄関で死亡しているのを帰宅した家族が見つける。
▽十七日・山手町の老女殺人事件で同居の三十二歳の孫を岡谷署が逮捕。
間下十五社神社、西堀八幡社、橋原洩矢神社の御柱祭里曳きが行われ、澄みきった空の下で、それぞれのご神木を境内に曳きつけ、建御柱。氏子の心意気を見せつけた。
▽十八日・市営養護老人ホーム「和楽荘」の経営を民営化し社会福祉法人「平成会」に委譲すると市が市議会社会委員協議会に報告。建物を無償譲渡、土地は無償貸与で来年四月からは運営を開始。併設のデイサービスセンターでは身体障害者デイサービスも行う。
▽二十日・来年三月に廃園となる岡谷保育園の建物を無償譲渡してほしいと岡谷区が林市長に要望。地域の子育て支援、健全育成、高齢者の生きがい作りなど地域活性化の拠点にしたいとしている。
▽二十一日・第五十二回県戦没者遺族大会がカノラホールで開かれ、県下の遺族会会員ら約千人が参加し、大会宣言や会員らの表彰を行った。翌二十二日には県主催の戦没者追悼式も開き、県内関係戦没者五万五千人余のめい福を祈った。
▽二十三日・文化の秋のトップを切って川岸地区文化祭の作品部門が始まり、学習グループや個人の出品作に訪れた人たちがじっくり鑑賞していた。
六カ区で構成する横川山運営委員会が長命水の水神さまの御柱祭を行い、この六年間の山仕事の安全や、同山の発展を祈願した。
▽二十四日・市内小宮御柱祭のフィナーレを飾る三沢熊野神社の御柱祭が行われ、にぎやかに、華やかに祭りを楽しんだ。
第十五回少年野球もみじ大会(市民新聞グループ後援)が鳥居平やまびこ公園グラウンドで開かれ、市内五小学校から十四チームが出場し今年一年の活動を締めくくった。
▽二十五日・市と市ごみ減量等推進市民会議(エコライフ岡谷)が独自で取り組む「環境にやさしい買い物週間」の第一弾として、役員らが林市長、今井市議会議長を訪ね、「環境にやさしい買い物宣言」書に署名を求めた。
▽二十九日・上の原小五年生が新潟県中越地震で大きな被害を受けた被災者に一年間育ててきた米を義援物資として送った。岡谷局を通じて長岡局に到着、長岡市災害対策本部に届けられた。
▽三十日・第四十七回出早公園観楓会が同公園で開かれ、岡谷市と下諏訪町から約二百五十人が参加し、秋の景色をめでながら親ぼくを深めた。
▽三十一日・岡谷秋香会の第四十九回岡谷菊花展がアピタ岡谷店で開催。見事な大輪の華が買い物客などを楽しませた。
【11月】
▽一日・岡谷商工会議所が新議員による臨時議員総会をジョイントプラザ・マリオで開き、第二十六期役員を選出した。新会頭には、信濃電材代表取締役で、前副会頭の宮坂勝彦氏・・・本町三・を選任。
市議会臨時会が開かれ、諏訪市の離脱、下諏訪町との合併協議断念を受けて、解散が確認された諏訪湖周三市町法定合併協議会の廃止を全会一致で可決。
▽三日・●下諏訪町の高橋文利町長が東京都の二男宅で急逝。この日が六十七歳の誕生日だった。四日に国土交通省や財務省への要望に出向くため、公務休みを利用して二日夕に電車で東京へ向かい、東京都練馬区大泉の二男・透さん宅に泊まった翌日に昼前にトイレで倒れているところを家人に発見された。
▽七日・第三十八回岡谷展の作品搬入と審査がイルフプラザカルチャーセンターで行われ、最高賞の岡谷市美術会賞に赤羽晃一さんの彫刻「気」が選ばれた。
▽八日・市の十七年度予算編成方針会議が開かれ、林市長は十七年度を合併が白紙となり自立の道を歩むスタートの年と強調。義務的経費は原則十六年度当初予算の範囲内、義務的経費を除いた経常経費は十六年度当初から一〇%カットを指示。
▽九日・横川区誌編さん委員会が昭和五十一年発刊の横川区誌の続編「続横川区誌」を発刊した。本格的な続編が出来たのは市内で初めて。
▽十一日・神明町で本正寺所有の神明墓地の墓が荒らされる。約四十カ所で石灯ろうや香炉、花立てが壊されたり、位置がずらされており、岡谷署で捜査。
郵便物の区分け作業中に郵便物を盗んだとして岡谷郵便局員が盗みを疑いで逮捕、送検される。
▽二十三日・スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会をアピールする五百万人トーチラン岡谷がやまびこ国際スケートセンターで行われ、障害者と市民約四百人が「絆(きずな)の火」を走り継いだ。
▽二十六日・市が出資する第三セクターのやまびこスケートの森が減資を行うことを市議会全員協議会に報告。現在の資本金十四億四千五百万円を年度内に七千二百万円にするもので、それに伴い累積赤字への補てんや優遇税制の適用、経費の削減で健全経営を目指す。
▽二十九日・TPR帝国ピストンリング長野工場は構内地下水から環境基準を超える六価クロムが検出され、さらに軽油で土壌が汚染されていることを発表した。同社では汚染が判明した三年前から浄化のための処理を行ってきたが、県への報告を怠っていた。県に届いた告発文で発覚し、市、県が立ち入り検査し指導。周辺住民や関係区役員、汚染範囲内の井戸所有者への説明会も開催した。
【12月】
▽二日・県が三沢と新倉の境界を流れる境沢川に設置を計画していた砂防えん堤の位置が変更に。従来の三カ所設置は同じだが、用地買収の関係や「施設だけに頼らない」砂防を進める方針への変更から位置を見直し、住民に説明した。
院内ゴルフコンペで競争馬に見立てて賭け(かけ)としていたと、岡谷署が賭博の疑いで塩嶺病院の医師、看護師ら三十二人を書類送検。
▽四日・岡谷小学区内に不審者情報が相次いでいることから、同校PTAと岡谷署は児童の登下校時に通学路パトロールし、警戒を強めている。
▽五日・「きぬのふるさと岡谷絹工房」が中央町の旧山一組製糸事務所一階に移転、オープンした。併せて「絹工房まつり」も開かれ、大勢の市民でにぎわった。
学校法人山崎学園が運営する聖母幼稚園の新園舎が完成、祝福式を行う。
▽十日・国の文化審議会が中央町一の旧林組製糸事務所と同守衛所、幸町の旧岡谷市役所庁舎の三棟を登録有形文化財(建造物)として登録するように文部科学大臣に答申した。
十一月末に六価クロムと軽油による土壌汚染が発覚した帝国ピストンリング長野工場で、さらに有機塩素系化合物で発がん性の疑いがある有害物質のテトラクロロエチレン、トリクロロエチレンが環境基準を超えて検出していながら、また県への報告を行っていたことが分かり、再び県へ報告書を提出した。
▽十九日・市が企業や一般家庭所有の飲用以外の井戸水の有機塩素系化合物のよる地下水汚染状況を監視する本年度の定期モニタリング調査結果をまとめた。調査した二十一本の井戸のうち、調査対象のテトラクロロエチレン、トリクロロエチレン、Cis・1、2・ジクロロエチレンの三種の化学物質のいずれかが環境基準を超えた井戸は十二本で、その他は基準クリアか定量限界未満だった。
▽二十日・市が小井川浄水場で、これまで河川へ直接流していた泥水の処理方法を施設の改良を含めて改善していく方針を決めた。
▽二十二日・市が十七年度から市国民健康保険税の税率を改定することにし、同運営協議会に改定案を諮問。案によると改定率は医療分、介護分合わせて全体で一二・八%増となる。
▽二十三日・観音、桃園両保育園の新しい統廃合保育園の園名が「みなと保育園」に決まる。
▽二十七日・市議会が各派代表者会を開き、議員定数問題など検討する活性化検討会設置を決める。
▽二十九日・暖冬のなか今冬初の本格的な積雪となる。スリップ事故が相次ぐ。