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諏訪湖と共に歩んだ人生 「民宿みなと」の中澤章さんが自叙伝

2025年10月14日


 岡谷市湊に「民宿みなと」を構え、ワカサギ釣りのドーム船事業を手がける中澤章さん(91)=諏訪市豊田有賀=が自叙伝「〝神渡る湖(うみ)〟とともに」を出版した。諏訪湖の環境の変化や需要をいち早く捉え、穴釣りに代わるレジャーの形を生み出したことをはじめ、「人より先のことをやろうという精神が旺盛だった」という人生を振り返った。
  中澤さんは、豊田村有賀(現諏訪市)生まれ。青果の輸送や自動車学校の教習指導員を経て、1964年に現在の民宿がある場所にドライブインを開業。湖周道路の整備計画を知ったのが理由の一つだった。客の要望に応える形で民宿を開始。レジャーブームを受け、手こぎの5隻で貸しボート業も始めた。
 多くの家族、仲間と酒を飲みながら楽しく釣りたいという需要が、ドーム船という「発明」につながった。74年から75年にかけて原形ができ、20人が一度に釣りをできる1号船が完成。「冬でも暖かい」「全天候型」という調子でメディアに取り上げられ、客は一気に増えた。著書で「実に斬新なアイデアだった」と振り返る。
 年々と薄くなる湖の氷を見て「いずれ穴釣りは不可能になる」と予見していた。現在、ドーム船は「諏訪湖祭湖上花火大会」の日に観覧船としても運行。毎年300人近い予約が入るという。本には「子どもの頃から諏訪湖とともに生きてきて、その変化を見続けてきたからこそ、未来を先取りしたアイデアが生まれた」と書く。
 採卵不振でワカサギの全面禁漁を行った諏訪湖漁業協同組合(諏訪市)の組合長時代も回顧。先祖が諏訪大社上社の「大祝(おおほうり)」という一族の歴史も記した。2011年、認知症の妻・千晴さんが共に訪れた群馬県のホテルで行方不明となり、現在も見つかっていないことにも触れ、後書きは妻の魂が戻るのなら諏訪湖だとして「私はここに生まれ、ここで死ぬ」としている。
 中澤さんは「自分の足跡を残せればと思った」。本を手に取った人が「諏訪地域の変遷を知り、諏訪湖の浄化にも関心を持ってくれれば」と願う。
 四六判で192ページ。税込み1980円。
(写真は、開発したドーム船の前で著書を手にする中澤さん)