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寄せ書きの日章旗 遺族の元へ

2018年2月1日

日章旗返還2

 太平洋戦争に召集され、戦地で亡くなった下諏訪町出身者の名前が書かれた日章旗が、終戦から70年余の歳月を経て遺族に返還されることになり、1月31日、町役場で式が行われた。出征する若者の健勝を祈願した日章旗には、「諏訪郡下諏訪町長・小口守一」などと当時の町理事者らの名前が連署されていて、これが貴重な遺品を町へ戻す手掛かりになった。町では「終戦記念日(8月15日)」に開かれている町戦没者追悼式で、帰還を果たした日章旗を公開する。
 日章旗(100㌢×67㌢)の右端には「祈健勝 小口孝人君」と書かれ、そこから町長らの名前が日の丸を囲むように寄せ書きされている。小口孝人さんは戦死しており、おいの小口洋太郎さん(74)=清水町=に青木悟町長から返還された。
 ニューヨーク州に住む元米海軍掃海艇乗組員のトニー・エスポジートさん(94)が、戦時中米陸軍に所属していた遠縁に当たる男性の遺品の中にあった日章旗を譲り受け、太平洋戦争の取材を通して知り合った朝日新聞記者に、「遺族の元に返したい」と託した。旗に記されていた町名が手掛かりとなり、同社の照会を受けた町が町遺族会に問い合わせ、孝人さんの兄の子息に当たる洋太郎さんの存在が分かった。
 1958(昭和33)年にまとめられた町遺族会の「戦没者並びに遺族名簿」によると、孝人さんは43(昭和18)年12月9日にニューギニアで戦死したらしい。洋太郎さんによると男6人女4人きょうだいの五男で、「父から兄弟の中で一番優秀だったと聞いていた」という。孝人さんの遺骨や遺品はなく、遺骨収集団が持ち帰ったニューギニアの砂を納骨堂に納めて、墓を守ってきた。洋太郎さんは日章旗の返還を、「感無量。(トニーさんに)手紙を書いてお礼をしたい」と喜んだ。
 青木町長は「戦後七十余年経過したが、平和の大切さを改めて多くの皆さんに知っていただく機会になった。墓前にご報告いただければと思う」と話し、「当時の若者は、こうやって送り出されていったんですね」とたくさんの署名が書かれた日章旗を、感慨深そうに見つめていた。