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最後の曳行 椚平で山神社御柱祭

2017年10月29日

椚平御柱祭⑧ネット用
 約半世紀前に廃村となった諏訪市湖南椚平(くぬぎだいら)で28日、1年遅れての山神社(やまのかみしゃ)御柱祭が開かれた。元住民や湖南南真志野の有志ら約70人が、雨中を力強く曳行、静かな奥山に木やりや歓声が響き渡った。元住民の高齢化が進むなどで、御柱祭はこれが最後とされる。
 親の代からひっそりと御柱祭を守ってきた農業の男性(69)が、地元南真志野などの有志の協力で1992年に復活させ、2010年まで続けた。昨年は、神社拝殿の屋根が破損したこともあって、実施時期を逸していた。
 この日は、男性の家族や親族など10人ほどの関係者、伐採から木作りに協力した南真志野の有志らが集まった。いとこの男性(62)=松本市並柳=は「御柱祭には毎回来ていた。離村当時の親たちも2人だけになり、我々の世代も年を取ってきた。これだけの祭りを行うことは今後難しいかも」と話した。
 諏訪市木遣保存会の竹森笑子会長ら3人の木やりで、曳行がスタート。前後にめどを付けた長さ約10㍍の一の柱は、約300㍍先の神社まで、紅葉が始まった風景の中をにぎやかに進んだ。
 曳行の先陣を切った男性は「多くの人が来てくれ、ありがたい」と感謝。破損した同神社拝殿内の本殿を南真志野の習焼神社に預かってもらう話が区と進んでおり、「思い出に残る祭りができた」としみじみ話した。
 椚平は、江戸時代の1661年、高島藩から山番として派遣された人が開拓した。住民は林業や養蚕などで生計を立てていた。戦後の経済成長に伴い、それだけでは成り立たず、地域を離れる人が急増。過疎化で区を維持することも困難になり、残った最後の8戸が箕輪町や岡谷市、諏訪市などへ移住し、1972(昭和47)年に廃村になった。