活字を使わない日本で最初の日刊新聞になったことを知らせた宣伝ビラ(部分)
 
昭和23年(1948年)
11月1日
薩摩光三、岡谷市で「市民新聞」(現在の「岡谷市民新聞」)を創刊。
昭和24年3月 市民新聞グループの「湖北新聞」(現在の「下諏訪市民新聞」)を創刊。
昭和24年11月 市民新聞グループの「たつの家庭新聞」(現在の「たつの新聞」)を創刊。
昭和26年 諏訪湖畔での一千灯とうろう流し、花火大会開催。送り盆の厳粛な行事として続く。
昭和28年5月 市民新聞グループの「箕輪家庭新聞」(現在の「みのわ新聞」)を創刊。
昭和28年6月 ほたる交歓会(岡谷市と辰野町)開催。多くの話題を生み、共通した事業の切っ掛けともなって盛会が続く。
昭和30年 本社屋を現在地に移転。
昭和31年 株式会社組織に。
昭和40年6月 CTS(Cold Type System)を国内の日刊紙で初めて開発。新聞の制作現場から鉛活字を追放。写真植字機、オフセット印刷機などを導入、設置した画期的な技術革新に、全国からの参観者続く。
昭和41年1月 市民新聞グループの「諏訪市民新聞」を創刊。
昭和46年9月 市民新聞グループの「茅野市民新聞」を創刊。
昭和53年 新しい社屋を建設。B4半裁高速オフセット輪転機を開発、設置。この機種は全国に普及。以後、順次増設。
昭和56年8月 市民新聞グループの「南みのわ新聞」を創刊。
昭和58年 カラー印刷システム稼動。
昭和61年 記者用ワープロのソフトとシステムを独自に開発、導入。
平成元年 コンピューターによるCTSシステムを更新。記事データベース化始まる。
平成4年 創業者、薩摩光三死去、薩摩正が社長に就任。完全デジタル化をめざした次世代CTSシステム開発に着手。
平成8年 「記者編集」を実現し、デジタルカメラに完全移行など日本の新聞界でも先駆的な自力によるデジタル化したCTSシステムが完成した。
平成9年 最新カラー専用のオフセット輪転機を導入、設置。
平成15年 CTSシステムを高速化
平成17年 CTP2基導入。制作システムを一新し、完全デジタル化に。
平成19年 CTPを高速機に更新。開発してきた印刷機が完成し、印刷システム1ラインすべてを更新した。
平成20年 岡谷市民新聞が創刊60周年に