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尖石遺跡範囲拡大示す住居跡発見

2017年11月23日

尖石遺跡

 茅野市教育委員会は22日、豊平南大塩の尖石遺跡西側で行っている同遺跡範囲確認調査の現場を報道機関に公開した。今月1日以降、縄文時代中期中頃(4500〜5千年前)とみられる竪穴住居址(し)が2カ所発見され、現在の境界線より約30メートル西まで集落が広がっていたことが明らかになったという
 尖石遺跡は、特別史跡「尖石石器時代遺跡」(6万7千平方メートル)のうち、南側3分の2ほどを占める。考古学者宮坂英弌さん(1887〜1975年)らの発掘に基づき、42年に境界が定められて以降、範囲確認は初めて。2カ年計画で遺跡西側の民有地計1万2千平方メートルを調べるが、本年度はこのうち最も南側の約3500平方メートル(畑3区画)を対象にしている。
 竪穴住居址2カ所は西側境界に最も近い畑で見つかった。一つは直径5、6メートルと推測され、床までの深さは地表から約1メートル。もう一つは直径4・5〜5メートルで、復元可能な深鉢型土器の一部も見つかっている。出土した土器の文様から縄文中期中頃のものとみられ、史跡の南西で発見されている住居址と共に、同遺跡の初期の集落を形成した可能性が高いという。
 遺物の出土量は極めて少なく、西に向かうに従い減っていることから、市教委では調査地点が縄文集落の西側限界とみている。尖石遺跡の集落は西から東へ移動しながら営まれたと考えられており、今回の調査はこの見解を裏付けた格好だ。
 尖石縄文考古館の小池岳史係長は「75年前に限られた情報を基に定められた境界が集落の限界とほぼ一致したことは、当時の発掘調査の精度の高さを示している」と話している。(写真は発見された住居址の一つ。多くの土器片などが確認できる)